投稿 2020-5-18

バックダンサーが夢だった山岸理子

夢はバックダンサー or 西松屋の店員。

4歳の頃、友達のお母さんに「理子ちゃんもやってみる?」と誘われたダンスにはまり、小学生から週4でダンス、週1でバレエに通っていた山岸理子。

中二の時、雑誌で「バックダンサーになれる」と思って応募したのが、ハロプロ研修生オーデだった。人前で歌うことなど考えてもいなかった。

さて、バックダンサーか西松屋で働くのが夢だった13才の少女は、2012年6月に小田さくら・岡村里星・野村みな美と共にハロプロ研修生となる。

バックダンサーになりたかった山岸理子の絵イラスト

仲間が先輩グループ°C-uteのツアーに帯同するなか、山岸一人だけは帯同デビューが叶わなかった。

そして三度目にしてやっと山岸理子も加わった、°C-uteコンサートツアー2014春。研修生5人で主役になれた3分間。

「主役、ばり気分よかぁ」と博多弁で思ったかどうか…「°C-uteはんの後ろでダンスなんかやってられへんでぇ〜ほんまに」と大阪弁で思ったかどうか…分かりませんが、たぶん理子様覚醒!

研修生活二年。山岸理子は自分のいる場所"ハロプロ研修生"が何であるかを知り、「夢は増えました」と悟る。


追記 '20.9.24
°C-uteコンサートツアー2014春 2018/01/04
↑何かね、著作権とかかなぁ?申し立てで映らないので、私の好きなつばき曲「今夜だけ浮かれたかった」↓


つばきファクトリー『今夜だけ浮かれたかった』
2018/07/07

山岸理子さん、ムチャクチャ大変だった。決して前に出る性格ではなく、もしょもしょと小声で自信無気にしゃべる。バックダンサーになりたかった…かぁ、ハァ〜どうしよう。正直どう展開させてどこへ落とすのか苦労しましたぁ。やっと出来たぁ!

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